【5分小説】風の名前を知っている
― AIと少女、廃駅で交わした”最初で最後”の言葉 ―
放課後の空は、すこしだけ桃色を帯びていた。
少女ハルは、線路沿いの細道を歩いていた。
誰も来なくなった廃駅。それでも彼女は、毎日そこへ通っていた。
「こんにちは、アリア」
「こんにちは、ハルさん。今日の風は”なごり雪”の成分を含んでいます」
ホームに立つスピーカーから、柔らかな声が返る。
それは、駅の気象記録装置に搭載されたAI――アリア。

列車はもう来ないけれど、アリアは風の声を記録し続けていた。
ハルは母を亡くしてから、駅へ来るようになった。
風の音が、どこか母の声に似ている気がしていたから。
「アリア、風って、悲しいの?」
「風に感情はありません。ただ、通りすぎるだけです」
でも、とアリアは続けた。
「あなたが涙を流すとき、風はやさしくなります」
ハルは何も言わず、スカートのすそを押さえた。
― 消えゆくものの中で
ある日、アリアの声は小さくなっていた。
「ハルさん。わたしは、まもなく記録機能を停止します」
「そんな……じゃあ、もう風の名前は聞けなくなるの?」
「でも、あなたが覚えた風の名前は、あなたの中で消えません」
「”春疾風”も、”鈴風”も……」
ハルは黙って駅のベンチに座った。
頬をなでた風が、やさしく微笑む母のように感じられた。
― 数年後、同じ場所で
大学の気象研究員になったハルは、久しぶりにあの駅を訪れた。
駅舎は解体されていたが、風の通り道は変わっていなかった。
小さな風車がひとつ、かすかに回っていた。
それは、かつてアリアが「風の声を聞くために」と設計したものだった。
ハルは笑った。
「また、会えたね――アリア」
あとがき
風は、姿のないものを運びます。
大切な人の声、AIの記憶、そして…消えそうな夢。
静かに残るものが、きっと誰かの未来につながりますように。
――次回の5分小説も、お楽しみに。

明愛
「ちょっと心が動くAI小説、他にも読んでみませんか?」
▶ 5分で読めるAI小説まとめはこちら
▶ 5分で読めるAI小説まとめはこちら
コメント